明治、大正、昭和の大阪を「大阪暮らしの今昔館」で振り返ろう!


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時は平成、近代化も進んだ我が街「大阪
ある日、ふと思いました。

大阪の昔って、どんなんやったんやろ?

皆さん、こんにちは。
赤鬼です。

今日は、明治、大正、昭和の大阪のご紹介です。
とは言え、「大阪くらしの今昔館」で調べた事ばかりですが・・・。

前回は、江戸時代の大阪をご紹介しましたが、
今回は、その続きです。

それでは行きましょう。

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1. 明治、大正、昭和の大阪とはどんな場所だったのか?

大阪駅

大阪駅周辺を見渡せば、超高層ビルなどが建ち並び、
近代化の歩みを実感できます。

しかし、ここ大阪も、昔は木造建築ばかりが軒を連ねる、
日本の原風景のような場所だったのです。

現在のようにパソコンも携帯も無く、
便利な家電製品も無い時代、
人々はどのような生活を送っていたのでしょうか?

そこはシンプルで、人間情緒あふれる場所でした。
それでは、しばし過去の世界を垣間見てみましょう。

2-1. 明治時代の大阪

川口居留地

ここは、慶応4年の大阪開港に伴い、
旧幕府の番地跡に出来た「川口居留地」と呼ばれた場所です。
外国人の居住地で、明治32年まで存続しました。

この場所には、ビリヤード場などの娯楽施設や、
洋服屋、パン屋等の店舗があり、大阪の西洋文化の窓口でした。
現在の福島区と西区の間あたりに存在していたようです。

2-2. 大正時代の大阪

7月24日、25日。
大阪の夏を彩る祭りと言えば・・・
そう、「天神祭」です。

天神祭

こちらは大正10年(1921)の天神祭りの様子を表した模型です。
祭りの最終日は、大川、堂島川で繰り広げられ、
船渡御をもって終わりを迎えます。

現在の天神祭でも大勢の人々が訪れ、
様々な店舗が軒を連ねますが、当時の天神祭も同じような賑わいを見せ、
打ち上げ花火が夏の夜空を彩ったそうです。

2-3. 昭和の大阪

それでは、昭和の大阪を見ていきましょう。

●北船場

北船場2ここは、昭和7年(1932)の「北船場」の様子です。
伝統家屋が建ち並んでいた北船場は、
江戸時代以来の街屋が軒下空間を取り込み、
道路幅が狭く問題となっていました。

この問題を解消するために、
軒切り」と言う都市改造が行われました。

この政策により、おおきな軒先(箱軒)を持つ家や、
洋風建築等の新しい形式の建物が現れました。

●大大阪 新開地

新開地2

先程の昭和7年から3年後、場所も変わって、
こちらの「新開地」にやって参りました。

かつて「大大阪 新開地」と呼ばれたこの場所は、
大阪市により大正14年(1925)に第二次市域拡張を実施し、
広域行政権を周辺の街と合わせる事により誕生しました。

北船場

大正8年(1919)の都市計画法を受けて始まった土地区画整理事業は、
ここで実施され、サラリーマン向けの貸家が大大阪の中心区に立ち並び、
市南部には、和洋のデザインが合わさった、新しい景色を生みました。

●空堀通

空堀通昭和13年(1938)年、8月。
ここは地蔵盆の昼下がりを表現した場所「空堀通」です。

松屋町から東へ1kmほど続く商店街で構成されています。
江戸時代中頃より市街地化し、通りの空堀には商家が連なり、
明治には賑やかな商店街になっていました。

空堀通2

江戸時代の名残がありますが、
井戸が共同水道に変わり、街にも街灯が立ち並び、
白いタイル張りの外装の、昭和らしい建物もありました。

新しい建物が長屋建てなのも、
大阪らし風景ですね。
このレトロ感が、本当にたまりません!

●城北バス住宅

バス住宅戦時中、度重なる空襲で日本中が焦土と化しました。
大阪も例外ではなく、多くの人々が住処を奪われました。

住処を失った人々は、学校、兵舎、寮を住宅に転用したのです。
その中で廃車になった木炭バスを利用したものが「バス住宅」です。

当時の旭区豊里町には、26台のバスを「メガネ形」に配置し、
中央の空き地に炊事場、洗濯場、便所等を設けた市営の「城北バス住宅」が作られました。

狭い住居だったようですが、家賃も安く、近隣とのつながりも深かったため、
住み続ける人も多く、昭和26年(1951)まで存続しました。

バス住宅

当時のバス住宅の様子はこんな感じです。
とても狭い住居ですが、人と人との接する機会も多く、
人間味あふれる生活が繰り広げられているようでした。

●古市中団地

古市戦災復興と高度経済成長に伴う、
都市への人口集中に対応するため、
公共住宅が数多く建設されました。

昭和28年(1953)から城東区古市の市営団地は、
住戸、住棟計画、配置計画だけでなく、
外構や色彩にも新しい試みがなされました。

このデザインは、学校、道路、公園などにも対象とされ、
総合的なモデル住宅団地として注目されました。

計画は、ヨーロッパの街づくりが参考にされ、
水洗トイレやバルコニー等、近代設備を兼ね備えた住戸は、
周囲からの憧れの的でした。

古市住宅

中の様子はこんな感じです。
この模型を見た時、なぜだか温かい気持ちになり、
いつまでもいつまでも眺めていました。

現在の日本の住宅は、生活は便利になり、
ほぼ一人ずつに部屋が与えられます。

しかし、この団地の様子は、常に家族が隣にいて、
良質な関係を築いているように見えました。

もちろん現在でも良質な家族関係はありますが、
昔に比べると、疎遠になった場面もあるのではないでしょうか?

そういった意味では、家族間の集う時間を少しだけ作り、
家族団らんの時を過ごすのも良いかもしれませんね。
最後に見た模型から、学んだ事でした。

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3. 昭和の生活用品

昭和の内容は町並みだけではありません。
今からご紹介する生活用品も、当時の様子を物語っています。
今の中高年の方には懐かしい品々かもしれませんね♪

冷蔵庫

さて、トップバッターはこちら。
冷蔵庫」です!

右が当時の電気型の冷蔵庫で、
左が氷を入れて冷やす仕組みの冷蔵庫です。

僕の母が昔使っていたと言っていました。
今では珍しい氷売の方が、しょっちゅう氷を売りに来ていたそうです。

炊飯器

「ガスコンロ」と「炊飯器」です。
昔の炊飯器は、現在のように保温機能はなく、
ご飯をおひつに移していたようです。

トースター

皆さん、これ何だかわかりますか?
ほら、アレですよ!
「トースター」ですよ!

これ・・・大丈夫なんですかね?
何か、焦げ焦げになって食パンマンに激怒されそうなんですが・・・。

テレビ

こちらは「電子オルガン」「レコーダー」「テレビ」です。
今のコンパクトなテレビとは違い、非常にダイナミックです。

昔のテレビってあれですよね。
映らなくなったら、シバきまくって直したのですよね。

僕も、両親の実家がダイヤル式のテレビで、
よくシバいたもんです。

当時は、現在のように各家庭に一台では無く、
テレビがあった近隣の家に皆が集まり、
画面に釘付けだったそうです。

いやぁ、力道山 対 ルーテーズ戦の空手チョップ、痺れましたね~。
YouTubeでしか見たことありませんが・・・。

4. 大阪くらしの今昔館 お土産、周辺情報。

今回ご紹介した「大阪暮らしの今昔館」は、
大阪天神橋商店街にある施設です。

展示場を抜けると、お土産も売っています。

お土産

このように懐かしの玩具や、
可愛いジオラマ等が売っています。

ホトトギスの笛

お土産に「うぐいすの笛」を購入しました。
ちゃんと「ホーホケキョ」って鳴きますよ♪

コインロッカー

プチ情報ですが、中には無料のコインロッカーもあります。
このロッカーに入らない大型の荷物は、受付に言えば預かってくれるので、
手ぶらで館内を見て回る事ができます。

関内の料金やアクセスは、前回の江戸時代編で載せていますので、
こちらで確認してください。

5. おまけ情報

大阪くらしの今昔館で、昔の雰囲気を楽しんだ後は、
美味しい洋食はいかがでしょうか?

たまたま周辺を歩いていると、
こんな洋食屋さんを見つけました。

スエヒロ

中を除いて見ると、なかなかの盛況ぶり。
とりあえず中に入り注文してみる事に。

ハンバーグ定食

とりあえずA定食を頼んでみました。

いただきます・・・。
むむ! これは!?
美味し!!!!

ハンバーグの外はカリカリ、中はふっくらジューシー。
エビフライもプリプリの海老で美味でした。

値段は少し高めの割に、人気が高い店なのかがわかります。
ちなみに僕が食べ終わる頃、外に行列が出来ていました。

ここのお店のメニューはこちら↓

●A定食 1,100円

●B定食 1,850円

●ハンバーグ 1,100円

●トンカツ 1,100円

●ポークチャップ 1,100円

●チキンカツ 1,100円

●ビフカツ 1,100円

●エビフライ 1,250円

●ヒレカツ 1,550円

●ビーフシチュー 1,650円

●ヒレステーキ 2,200円

●サーロインステーキ 2,200円

こちらのお店の地図は、
下記の地図の黄色のアイコンの場所となっております。


目印は、天神橋筋沿いの三菱東京UFJ銀行の隣です。
今昔館と美味しい料理で、
素敵な休日をお過ごしくださいね♪

それではまた。

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