子供達に伝えたい七夕の由来?親父にも教わってないのにー!


皆さん、こんにちは!
赤鬼ですヽ(・∀・)ノ

先日、昔の写真を整理していたら、
熊本に行った時の物が出てきました。

その場所では、七夕の笹が飾っており、
色んな願い事を飾って、とても綺麗だったのをよく覚えています。

そして、ふと思ったのですが七夕の由来って何なんでしょう?
今日は、そんな疑問を解決していきたいと思います。
それでは、行ってみましょう!

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乞巧奠(キコウデン)

おりひおこ

七夕の由来の代表格が子供の時に聞いた、
七夕の話「織姫と彦星」の話でしょう。

この話は、中国の故事からきているようです。
天帝の娘、織姫(織女)彦星(牽牛)は恋に落ちて織姫は、
自分の仕事の機織りをサボるようになりました。

それに対し、めっちゃ怒った天帝は、天の川を隔てて、
二人を引き離し年に一度だけの7月7日の七夕の日の夜にだけ逢う事を許したそうです。

雨が降って、天の川の水かさが増すと二人が逢えなくなるので、
今でも七夕の夜は晴れるように願うようです。

実にロマンチックな話ですが、事の発端はラブロマンスにうつつをぬかし、
やるべき事を疎かにした二人が悪いと言わざるをえません。

金色の狼と呼ばれた、
あの方が知れば必ず こう言うでしょう。

天帝は、お怒りだ

皆さんも、お子様にこの話をされる際には、
勉強や、家の手伝いをサボると御自宅の天帝が、
激昂すると脅すのもありかもしれませんね

棚機津女(たなばたつめ)


いなが

先の中国の伝説と変わりまして、日本版の七夕のお話がありました。
その昔、「」と呼ばれる仮小屋に機を織る、
棚機津女と呼ばれる乙女が、神と一夜を共にする行事がありました。

翌朝、棚機津女とすごした神は、
村人達の穢れ(けがれ)を、常世の国に持ち帰ってくれたそうです。

この日本の話と、先の中国の伝説が奈良時代に日本に伝来し、
現在の七夕祭が生まれたと考えられています。

特に、日本の最大級の七夕祭の開催地、
仙台においては戦国武将の伊達政宗も奨励するほどだったそうです。
いかに、七夕が大きな祭りだったのかがわかりますね。

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短冊に願いを書くわけ

笹の葉

短冊に願い事を書く風習もかなり古く、
江戸時代には一般的な行事になっていたようです。

当時は、習字が上達するように寺子屋等で行われ、
その後、学力や技芸向上を願うと言う形でどんどん広まっていきました。

お隣の中国では、織姫のように「手先が器用になりますように」と短冊に願い事を書き、
お供え物をしたようです。

もしも、短冊に願い事を書いて本当に叶うなら、

タライいっぱいのフルーチェが欲しい!

と、書いてみたいですな

七夕を飾ってみよう!

短冊

七夕は一夜だけの行事なので6日の夕方から、7日の晩までが原則だったのですが、
最近では、かなりフライングして飾ったり、少し過ぎても飾ったりしている所もあるようです。

まぁ、飾る時期はいいとして、
その笹の葉に、赤、青、黄、紫、黒、白のフルーチェを食わせろと書いた短冊や、
様々な装飾を飾りましょう。

七夕祭の翌日は、地方によっては笹や飾りを海に流す七夕送りを行い、
他にも人形を流す地域もあるようですが、
近年、ゴミの問題となってこの風習は、廃れつつあるようです。

昔は、流した笹は海をバタフライで遊泳するパンダが、
処理してくれていたんだと思います。

えっ?
そんなわけない?
嫌ですぜ、旦那。
七夕ですよ?

夢がある方がいいじゃありませんか!

てなわけで、以上が七夕の由来の話です。

短冊に書いた、皆さんの願い事が
叶うと良いですね!
それでは、また

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