未分類

【3.11 東日本大震災を忘れない】気仙沼旅行記

Sponsored links

皆さん、こんにちは。
赤鬼です。

いよいよ、今年も残りわずかですねヽ(´▽`)/
こうやって思い返すと、色々ありました。

毎年、年末年始が来ると思い出します。
あの、気仙沼の光景を・・・

2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖にて巨大地震が発生。
それに伴い巨大津波が発生し、多くの方の命が奪われました。

その日の晩に、僕は職場の人と夕食に行ったのですが、隣にいた男性が、
「所詮は他人事、これで潤うのは建設業やな。」
と発言し、その心無い言葉に対し、かなりの憤りを感じた事を覚えています。

と同時に、すぐに思い出しました。
気仙沼の友達の事を・・・
すぐに連絡を取りたかったのですが、全く通じず返事が来た時は数日後でした。

すぐに向かいたかったのですが交通機関が遮断され、
気仙沼にたどり着けたのは翌年の2012年の1月2日でした。
その時に撮影したのが、以下の画像です。

Sponsored links

1. 津波の後の気仙沼の光景

 

船k

陸に打ち上げられたタンカー

被災地3k

気仙沼市街

k被災地2

気仙沼市街

シャークk
シャークミュージアム 行きたかったな・・・m(_ _)m

被災地k

厚み0.8の鋼板屋根が、ぐしゃぐしゃに・・・。
津波の威力がよくわかる光景です。

この市街地を見て回った日の晩、ようやく友達と再会しました。
そして、当時の話を聞かせてもらう事ができました。

地震が起こったあの日、友達は職場にいました。
高台にあるホテルにて仕事をしていたのですが、
地震発生後に襲ってきた津波は、瞬く間に高台の下にある景色を地獄に変えました。

重油が漏れて、火の海になった海を見て死を覚悟したそうです。
しかし、家族と連絡が取れて「なんとか生き延びないと!」と強く思い一夜を乗り越えました。

津波が去った後も、街中は目を覆いたくなる光景が広がり、
被災地荒らしの横行、瓦礫の山が辺りを埋め尽くしました。

生活に必要な設備も復旧の目処がたたず、
苦しい生活を強いられたと話していました。

「もしも、日本全国に伝えたい事があるとしたら、何がある?」
と質問すると、力強い声で友達は言いました。

「被災地の事を忘れないで欲しい。そして、被災地に来て欲しい。
来てくれる事が、復興につながるから!

その話の後に、二人で街中に出て、僕は凄い光景を目の当たりにするのです。
それは、コンテナハウスで店舗を営む人々だったのです。

津波の被害に遭いながらも、それでも力強くたくましく生きる人たちがいました。
郷土愛を忘れず、元気いっぱいに笑うその人たちを見て、目頭が熱くなったのを覚えています。

3月11日。
日本にとっても、世界にとっても歴史に残る大惨事となりましたが、
東北の人たちの力強い姿を見たら、必ず復興は成されると思います。

そのためには、皆さん東北に行ってみてください!
本当に素晴らしい町です!
最後に気仙沼の写真を、もう一度お見せして終わりたいと思います。

Sponsored links

2. 気仙沼の景色


駅前k

気仙沼駅前。美しい港町の旅は、ここから始まります。

港k

静かな港町。

食事k

気仙沼プラザホテル1階レストランにある食事。
めちゃくちゃ美味しかったヽ(´▽`)/

そしてラスト!

夕日k

気仙沼プラザホテルより撮った、美しい夕日。
復興の幕開けを予感させる美しい光景でした。

というわけで、皆さん!
年末年始は、東北をおすすめしますよ!

最後まで読んでくださり、
ありがとうございます!ヽ(´▽`)/

Sponsored links

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください